紫水 03.

 ラズは何事も無かったかのように振る舞い、今までと変わらずカガリにも接していた。
 シルバーレンに滞在して一月が経とうとしている。
「そろそろカーシャに向かった方が良いよな」
 ラズが宮殿で昼食を摂る為、食堂に集まった全員にそう言った。
「そうだな……。そろそろ動かないと……」
 リュウが同意する。
 シルバーレンに滞在している間は悪しき者の事も使命も忘れ、世界は平和なんだと錯覚する時間を過ごした。
 三日に一度くらいの間隔でベアレスから古文書の写しは送られていたが、膨大な量のまだ三分の一も解読は出来ていない現状だ。
 ローレンで解読された部分と被る場所ばかりで、重要であろう部分には差し掛かっていない。
「今度は陸路になる。準備はきちんとしなくちゃいけないからな……。出発は三日後にしよう。カーシャまでは約五日、この辺りはかなり春めいては来たけどカーシャにはまだ雪が残っているはずだ。食糧や馬はこっちで用意するけど、服だとかは各自で」
 昼食を終えレンとコウガに連れられリュウ達三人はシルバーレンの街へと向かって行った。
 周りの全員は、ラズとカガリの関係の何かが少し変わったと言う事に気付いていた。
 シルバーレンに来た当初、カガリがよく見せるようになった笑顔は最近では全く見ることが無い。
 以前のカガリに戻ったようだと、誰もが思っていた。
 ラズはラズで、宮殿で夜を過ごす事が多くなっていた当初とは変わり、今では王宮からここへ通っている状況だった。
 それでも二人がギクシャクした感じは無く、首をかしげながらも良い方へと変わったのだろうと、解釈していた。
「カガリは? 買い物に行くなら付き合おうか?」
 いつもと変わらない優しい口調で言うラズを見つめ、首を左右に振る。
「そっか……。でも、まぁ、早めに準備しておけよ? 三日後にはここを出るんだから。オレは王宮に戻ってカーシャに向かう事を言ってこなくちゃいけないから。まぁ、街は点在しているから食糧もそんなに必要ないんだけど、馬は用意しなくちゃいけないしな」
 そう言って立ち上がるラズをじっと見つめる。
 その視線に気付いたのか椅子から立ち上がりながらカガリに視線を向け微笑んでみせた。
「どうした?」
「ラズは……」
 そう呟いてから首を左右に強く振る。
「なんでも無い……」
「なら良いけど。じゃあ」
 そう言ってラズはカガリに背を向け、食堂を出て行った。
 あの日以来、ラズがカガリを求めることは無かった。
 レザンドからシルバーレンまでの航海でしたように、口付けをすることも、頬を両手で包んで見つめてくれることも無かった……。
 晩餐は何度か催されたが、カガリが行かないと言えば一人で宮殿に残ってもつまらないだろうと、カガリの側に居てくれた。
 しかし他愛無い会話を交わすだけで、王宮からリュウ達が戻って来れば入れ替わりにラズは王宮へと戻っていく。
 全てカガリを思ってやってくれている事なのだろうと思うが、素っ気無さも普通の振舞いも、身体を重ねた日々などまるで無かったとでも言われているようでカガリには寂しく感じた。
 息をつき食堂を出ると、ラズが宮殿の入り口へと向かっている背中が見えた。
「ラズ!」
 思わず名を呼ぶ。
 出て行こうとしていた足を止め、カガリに振り返った。
「ん?」
「ラズ、オレ……」
「どうした?」
 両手に力を込め、目を伏せるとまた首を左右に振った。
「ごめん……なんでも無い……」
 ラズがはポンポンとカガリの頭を撫でる。
 久し振りに感じるラズの感触だった。あの日以来、ラズはカガリに触れることもしなくなっていた事に今更気付く。
「オレもう行くけど大丈夫か?」
 返事も頷く事も無かったが、ラズはカガリから離れると入り口の方へと向かって行ってしまった。
「明日も来るから」
 そう一言だけを残して……。
 与えられていた部屋の窓際に向かい、丘陵を眺めていた。
 ラズが側に居ない事が悲しいと、あの時と同じ感情でその景色を眺める。
 しかしいくら眺めていても、あの時とは違い丘陵の向こうからラズが現れることは無かった……。

 翌日の昼頃にラズが王宮からやってくる。
「今日の晩、晩餐を催すから王宮に来てくれってカインが言ってた。全員大丈夫だよな?」
「あ……オレは……」
 辞退しようとしたカガリをレンが止める。
「シルバーレンから出て行くんだよ? 最後なんだから良いんじゃない?」
「いや、でも……」
「大丈夫だよ。コウガも居るし。難しい話が解らないんだったら、コウガと話してれば良いんだから。と言うことで全員だね」
 半ば強引に行く事にされてしまい、カガリは大きく溜息をついた。
 またあのカインからのあからさまな敵意を感じなければいけないのかと言う恐怖だった。
 悪しき者や、命を狙ってくる者とは性質も何もかもが違う敵意。
 相手を思うが故に初めて発生する敵意なのだ。
 自分を疎ましく思うだけの敵意ではなく、他の感情までもが入り混じって向けられる……。カインの中に含まれる敵意は、ラズを思う感情が含まれていた。
 ラズと同じ気で、ラズを思い、そして自分に敵意を向ける。
 人とは接していても、それぞれの感情に足を踏み込む事の無い時間を長く過ごしてきていたカガリには、それが耐えられなかった。
 他の人間が解散してこの場に居ない事にさえも気付かないほど物思いに耽っていたカガリは、ラズに肩を叩かれハッとした。
「あ……何?」
「大丈夫か? 無理しなくても良いよ。顔色悪いし……」
「いや……」
 そう呟いてから、ラズの腕を握る。
「ラズ、オレ……」
 ラズは優しくカガリを覗き込んで微笑んだ。
「どうした?」
 縋るような目でラズを見上げる。
 しかし、ラズはそのカガリから視線を逸らした。
 こうしてしまったのは自分だと解っていた。
 強く抱きしめてもらいたくて、カガリは周りに誰も居ないのを確認するとラズの身体に腕を回す。
「カガリ……」
 ラズは溜息混じりに呟くと、身体に回されたカガリの腕を優しく外した。
「カガリ、ごめん……」
 そう言ってカガリの前を去っていくラズの背を切なげに見つめることしか出来なかった。

 王宮の晩餐は夕方近くに始まった。
 立食で、互いに言葉を交わしながらこの場を楽しんでいる。
 遠目にそれを眺め、会場の隅でグラスに注がれたワインを舐めながら、早くこの時間が終わる事だけを考えていた。
 どこに誰がいるか、確認すらできていない。
 とにかく、この息苦しいだけの時間が一刻も早く終わって欲しかった。
 ラズがテラスでシルバーレンの美しい街明かりを眺めていると、不意に背後から声をかけられる。
「ラズ……」
「ああ、カイン」
「ああじゃないだろ、お前、カガリと何かあったのか……?」
「は? どうして」
 会場の中をチラッと見て、壁際の観葉樹の陰に身を隠すように居るカガリに視線をやる。
「おかしいだろ、どう考えたって……」
 カインを見て大きく息をついた。
「お前の望む通りになったって事だよ。お前、随分前の晩餐でカガリに敵意を含んだ感情をぶつけたんだろ? オレの中におまえの気を感じるんだってさ」
 大きく息をつき、テラスに頬杖をつく。
「お前の想像通りだよ。オレはカガリが好きだ。男であっても関係ない。そう思っていた。でもな、お前が敵意を向けたあの日以来、オレが抱き寄せたりすると怯えるんだ。お前から受けた感情、全部カガリがかぶっちゃってるんだよ。お前に申し訳なく思っているみたいだな……。お前からオレを奪ってしまうんじゃないかってさ……。オレとお前の気は似ていて、オレと居てもお前の事を思い出すんだってさ……」
「で……放っておくのかよ……」
 部屋の隅でワインを飲みながら、早く逃げ出したいと思っているカガリの安定しない感情はラズにも伝わってくる。
「放っておいている訳じゃないよ。オレが感情を向けることで混乱するなら、カガリを自由にしてやった方が良いんだろうなと思ってさ。話し合いと言うよりは一方的だったけども……」
「だからって、こういう状況が苦手なんだろう!? あいつは! 側に居てやらないでどうするんだよ!?」
 そう言ったカインを睨みつけた。
「お前は何を望むんだよ……。この状況はお前が引き金になってる。カガリとの行動を良しとしないと言ったのはお前だったな? だからあからさまな敵意をカガリに向けたんだよな? オレとカガリが距離を置くのはお前にとって喜ぶべき事なんだろう?」
 グッと詰まったカインを見つめ、息をつく。
「晩餐だって始まってまだ三十分も経っていないんだ。オレは自分の位置は解っているつもりだからな、お前なんかに言われなくてもちゃんとカガリの側には居るよ。カイン、お前がカガリに向ける感情は今後あいつに向けないでやってくれ……。お前の中に、誰かにぶつけなくちゃ解決できない思いがあるのなら、オレにぶつけて欲しい……。オレは正直に自分の中にあるカガリへの気持ちをお前に言ったからな。それに対して何かあるなら、オレに言ってくれ。オレのこの感情のせいでカガリを苦しめたく無いんだ……」
 テラスを離れ、ガラス窓の枠に手をついてカインを振り返る。
「オレは、お前とはいつまでも兄弟だと思ってる。場所は離れていたとしても、お前の事は常に心配しているし、この国の行く末を案じている。お前が国政に疲れてはいないかとか、押し付けられた国王に嫌気が差しているんじゃないかとか……。血が繋がっているんだ、当たり前だろ? オレのせいでお前が国王にならなくちゃいけなくなった様なもんだ……いつも、心の中でお前の事を考えてる……。ここはオレが戻ってきても良い、唯一の場所なんだろ?」
 そう言うと壁際で肩身狭そうにしているカガリの横へと移動していった。
 そのラズの背中を見つめ、フッと苦笑いした。

「カガリ、外に出るか?」
 下だけを見ていたカガリにそう声をかける。
「ラズ……」
 ホッとしたように顔を上げ、安堵の表情を見せたカガリに微笑んでみせた。
「さっきから食事もしていないだろ? 何か持ってきてやろうか?」
 小さく首を横に振って見せたカガリと同じように、壁に背をつけ会場の中を見つめる。
「カガリ、オレさ、今、カインにお前への思いを伝えてきた……」
「え……」
 ラズを見つめ、会場内のどこかに居るだろうカインの姿を探した。
 テラスにもたれているラズに似た気を見つける。
 悲しげなその気は、やはりラズを錯覚させた。
 自分と距離を置くと言ったときから絶えずラズの周りを覆っていた気だった……。
「ラズ……オレカインの所に……」
「良いよ、行かなくても」
「ちゃんと話してないんだ……」
 ラズにワイングラスを渡し、テラスに居るカインの元へと歩き出す。
 その姿を見つめラズは微笑んだ。

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